初対面の時,この質問をしない人のほうが珍しい,それくらい弁護士⇒コーチは不思議なことのようです。私自身にとっては,弁護士とコーチは同じ意味,つまり,根差すところのBEINGが同じなので,違和感がありません。●事件は必ず終わりが来る弁護士は,何らかの社会的問題を抱えるに至った人,事件に遭遇してしまった人を支える仕事です。もちろん,法律論を駆使して相手と戦って,という場面もありますが,実際は,依頼者の精神的な苦痛に寄り添う場面も多数あります。生きるというのは,時として,とても大変なことです。法律は定められたものであり,それに沿って様々な事実を法的に解釈して法的勝敗をつけていくことは,大いに意味があります。特に,紛争自体を終了させるという点では,ある意味秀逸な手法です。しかし,それだけですべてがうまくいくわけではありません。人は感情と思考の生き物。たとえ,法的に勝った負けたと結論を出しても,感情や思考が納得いかなければその先に進めないことだってあり得るのです。いや,大ありなのです。どんな大きな事件でもどんなに真っ暗な日々が続こうと,「事件」はいつか必ず終わりを迎えます。その翌日どんな朝を迎えるのか。その空を何色に描くのか。すべてはその人のココロのもちよう,つまり,BEINGにある。これが私が改めて「ココロ」を真剣に学び直した最大の理由です。だって幸せになってほしいのです,世界中の全ての人に。●6回目最大の理由,といったからには,もう一つの理由があります。それは,私自身の経験です。弁護士になって10年。超多忙な日々が続き,終電に走りこんで帰宅は1時過ぎ,数時間眠ると明け方に事件が気になって目が覚める・・・土日も連休も無く働き,時折過労で歩けなくなる。10年間で6回の入院。入院中もノートPCとスマホでずっと仕事,大事な裁判には無理を言って外出許可をもらう,会議は病室からWEB参加と,今思えば気が狂ったように仕事をしていました。転機は6回目の入院。術後1週間ほど起き上がることはおろかスマホも持てず,超焦ります,ああ仕事できない,どんどん遅れる,ああどうしよう入院なんてしてる場合じゃない,なんて情けない!!5日目くらいだったでしょうか。あれ?ちょっとおかしくない?なんでこんなに焦ってるんだろう?っていうか,私今まで一体何してきたんだろう・・・?●BEINGを取り戻すあの時の私は,完全にBEINGを見失っていました。BEINGに根差さないDOINGの暴走状態。それに気が付きながらの入院は1カ月超に及び,この間に仕事を手放して本を読んだり手紙を書いたり,人間らしい?時間を過ごして少しずつ生気を取り戻していきました。この時の医療スタッフさんたちの穏やかな率直さにはとても感謝しています。退院の朝の空の色,今も覚えています。なんというか,自分が生まれ直したような感覚でちょっと外に出るのが怖かったです。外気は新鮮で冷たくて,様々な香りが混在したものでした。そして,仕事をセーブしながら心の学びにまい進し,様々な理論やスキルを習得してコーチとして働くに至っています。仕事の割合は弁護士:コーチが2:8というところです。●明日何があっても必ず明日という日が訪れる。その朝にどんな空を描くのか。すべての人の明日の朝に澄んだ空が広がりますようにと心から願います。